冬の月、春の星
      真言宗僧侶 杉村弘月
冬至からひと月半、立春を過ぎた。日の入りは随分遅くなったが、日の出は七時少し前だから、五時から六時までの散歩タイムは、行きも帰りも暗い。夜空の月と星が顔なじみの親しい友人になる。明け方に出会う月は、満月を過ぎて次第に痩せていく、いわば後半の月である。経ヶ峰の上空にぽっかり浮ぶ満月は神々しいほどだけれど、出会ってまもなく沈んでしまう。十六夜、立待の月と、月の出は毎日五十分ずつ遅くなるから、欠け始めた月はしだいに空の高いところに掛かるようになる。下弦の月を過ぎて新月に近づくころには、家にたどり着く間際に、細い細い爪の月が東の空に昇ってくる。月の位置を確かめるたびに「やあっ」と軽く挨拶したくなる。
しかしこの冬の月、平安人には不評だったらしい。枕草子に「すさまじきもの。嫗(おうな)の化粧。師走の月夜」とあるのだ。「すさまじ」という形容詞は、興ざめだ、がっかりだというような意味。婆さんの化粧と冬(師走)の月を並べるとは清少納言さんそれはどうなのと言いたくなるが。実は現代に伝わっている枕草子にはこの文言がない。本が必要なら人の手で写すしかなかった時代が長く続いた、だからどこかで抜け落ちたのかもしれないが、この枕草子の文言は、世間にかなりの影響を与えた。まず、紫式部が敏感に反応している。源氏物語「朝顔」の巻では、月の光と降り積った雪とが青白く照らし合っている情景を描き、光源氏に、冬の月を「すさまじきためしに言ひ置きけむ人の、心浅さよ。」とつぶやかせている。「冬の月を興ざめだなどど言った人の美的センスを疑うよ」とでも訳せばいいか、清少納言が大嫌いだった紫式部の対抗意識が燃え上がっている。少し時代が下った「更級日記」にも「冬の夜の月は、昔よりすさまじきもののためしにひかれて侍りけるに」という文章が出てくる。冬の月といえば「すさまじ」が連想されたものらしい。鎌倉時代の兼好法師も徒然草の第十九段で「すさまじきものにして見る人もなき月の、寒けく澄める二十日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。」と書いている。人々が興ざめなものだとしている冬の月が寒々とした夜空に冴え輝いているのは、心細いものだ、心細いとは心に沁みるという誉め言葉である。兼好法師は紫式部の美意識に軍配をあげているのだ。令和に生きる一老人も紫式部に一票。
冬の夜空には星たちも美しい。初冬の早朝、まず見上げるのは南の空に輝くオリオン。オリオンの赤い星ペテルギウスと斜め左下にある青い星シリウス、シリウスの斜め左上に輝く白い星プロキオン、これら三つの星が作る三角形、冬の大三角に出会うのが早起きの楽しみでもあった。星座は巡り、オリオンはもう姿を消した。春が近づくにつれ星の光が柔らかくなった。薄雲が広がる日が増えたのか、二月に入ると星もまばらになった気がする。夜明けが近いからかもしれない。あるいは、明かる過ぎる地上の光に気おされているのかもしれない。街路灯、信号、マンションの階段にはイルミネーションのように輝く光、鉄塔やビルの屋上には真っ赤なライト、車のヘッドライト、テールランプ、電車は窓からオレンジ色の長い光の帯をなびかせて走っていく。地上は光にあふれている。
 春の星こんなに人が死んだのか
作者は照井翠、岩手県に住む俳人、東日本大震災の直後の被災地で詠まれた句である。
地上の光はすべて大津波にさらわれた。空には今まで見たこともない、恐ろしい数の星が輝く。身内や友人や知人や、失われた大切な人の命、数えきれない命を思う。驚きと悲しみと悔しさと怒りと、どうしようもない、訳のわからない感情がどおっと噴き出すように
して生まれた句なのだろう。この句は句集「龍宮」に収められている。この句以外にも胸に迫る句が並ぶ。機会があればぜひ手に取ってほしい。
コロナのせいでどこにも行けなくなった今こそ、読書をお勧めします。想像をはるかに超えた、素晴らしい世界が待っていてくれますから。