橋本日出子

 「新世紀!ロボットの足音がする」のタイトルで、この欄に文章を発表させていただいたのは、二〇〇一年・一月一日号。あれから・・・ロボットたちは着実にさまざまな分野で、私たちの生活に役立っている。買物に出かける近くのショッピングセンターの一角にさえ、愛らしい白いロボットが立ち「こんにちは」と、声かけしている。さりとて、ひとは驚かない。当り前の風景なのだ。少し離れた場所から私、想う。よかったね、ロボットよ。みんなに認知されて。

 そう、あの頃は・・・高校生のとき、ロボットの時代が来るから、と、話して、先生や両親に“頭がおかしくなったのでは”と不安がられ、バカにされ、ひとりぼっちになって人間ギライに落ちたけど。
 でも、もういいよ、ね。過去のこと。今、現実にロボットが立っている。充分だ。過年、ロボットのアシモに「運転お願いよ」と頼めば「OK」とこたえるはず。と想定しておたが、昨今はなんと、誰も何も不要の、自動運転の車が道路試行中。

 そして気づけば、慣れ親しんだ“昭和”は遠く、やっと慣れた“平成”さえ、見送ることし。ちょっと待って。の言葉を飲み込んで振り返ってみれば。

 昨年は、なつかしい人たちと出会いがあった。

 ①4月16日(月)修成小学校・H・29年卒同窓会。窓を開け大声で叫べば聞こえそうな近くに、同じクラスのAさんは住んでいた。そのAさん「あんたの妹、ホント可愛いかったなあ。外へ出てくるのをボク、待っとった」「そこえ出てくるのが可愛いくない私で、悪かったね」「そうや」ワッハッハ。笑い合った。5歳下の妹は戦後生まれ。何故か髪が茶色で天然パーマ。4歳になった妹を連れ、津市半田の田舎道を歩いていた時、知らないおばさんに「可愛いな。アメリカさんの子?」と言われたこと覚えている。が、そんな妹も、学校ではパーマかけたらあかん(ダメ)のに。と、先生や友達に言われていやだった、とか。そんな小学時代に戻れた日だった。

 ②11月15日(木)津商校8回卒同窓会“目立たず、はしゃがず、勉強せず”をモットーに過した高校生活だったから、私の存在はうすかったものの。卒業後に顔を合わすたび、親しさが増してゆく。同じ学年でよかったなあ。生きている限り、また会おう。と再会を約束して。

 ③11月23日(祭)「弓月美佳・応援・三重」の特別観光バスは、私たち10名を乗せて大阪の歌謡ショーへ。会場は、大阪・中央区・朝日生命ホール。歌手・松島進一郎さんの「こころの心杖(つえ)」発表会を主のカラオケ大会。出場者は百余名の盛大さだった。ゲスト歌手・弓月美佳さんの熱唱『おんな飛車駒』に大きな拍手をいただいたのはむろん、同曲を大阪の女性、おふたりにも見事にうたい上げてもらって、心からうれしかった。さらには、作曲してくださった宮下健治先生も、大会審査委員長として東京からご出席だったので、うれしさ2倍で。いえ、それだけでなく会場へは、大阪に住む親類の、中島夫婦、おふたりもかけつけてくださり、何十年ぶりの顔合せに感激の涙ぽろり。

 大学生・高校生の男子学生のふたりも、大阪での。演歌のこころ、残してくれたことでしょう。試験前だったのに、応援してくれて、本当にありがとう。バスは、4時発車。歌手・弓月美佳さんは、「ありがとうございました」とバスまで見送りに。大阪へ。また、よろしく。手を振り合った。
 さあ、亥年。好きなことに、猪突猛進(ちょとつもうしん)の覚悟をせねば。
(中日詩人会会員)