自然災害で文化財が危機!!
せり出す津城の石垣
江戸時代の姿に復元保存を
 地震や台風、豪雨など全国各地で自然災害が発生、多くの人命や財産が失われている。重要文化財も例外ではない。熊本地震で熊本城に深刻な被害が出た。津市には多くの有形・無形文化財がある。今年9月の台風で津城の石橋の石が崩落した。津城は「続日本100名」の一つであり、一部は県史跡に指定されている。文化財の維持管理は大丈夫か―。
 津城は城普請の名手・藤堂高虎公が、織田信包の城を大改修して北側の石塁を積みなおし、東北と西北の隅に三重の櫓(ろ)を築いた。石垣の美しさがみごとで、平成17年3月県史跡指定された。「続日本100名城」の一つでもある。津市が維持・管理にあたっている。
 今年9月の台風で津城南面、津地方法務局北の掘に大木が倒れ、一時期放置されていた。木は園内へ至る石橋の際に生えていたもので、教育委員会によると、その場所は史跡から外れるという。今でこそ石橋だが、昔の絵図には橋など架かっておらず、津城は近世江戸時代の容姿をもって県史跡に指定された。
 今回の事故は近世以降に架けられた石橋の石材が転落したものと解釈され、指定対象である近世江戸時代の石垣に影響を与えるものではないとの見解である。史跡である石垣には、近世江戸時代に造営されたままの状態で現存している場合と、後世改変が加えられ変形している場合とがある。近世江戸時代に造営のものとなると、棄損により文化財としての価値を失ってしまうことにもなりかねない。
 石垣のせり出しも気がかりだ。木の成長とともに幹や枝、根が太くなり、石垣を内部から押し出している。教育委員会は「膨らんでいるのが木の根なのか、後部が下がって膨らんでいるのか、善処するべく修理検討委員会に諮っている最中」であり、「今年度、危険な木を再度確認する計画で、景観も重要だが、防災の観点から、必要であれば伐採することもやむを得ない。全庁的に共通認識も取れた」と話す。
 近年の豪雨は激烈であり、木々がそれを緩衝していたことを思えば、景観云々とは別に木を残すことを考えなければならない。地面がさらされることで、今度は石垣そのものが流される恐れが出てくる。
 問題になるのが、“緑ゆたかな津城”と文化財保護のすみ分け。伐採した方がよいとの議論はあるが、作業によってアクシデントが発生するやもしれない。教育委員会は「専門家との協議を重ねたい」とするばかりである。
 津城にかぎらない。夏場の高温度で雑草が生い茂り、坂本山古墳群、池の谷古墳などは3年のローテーションで枝葉を払い、草刈りをしている。国名勝「三多気の桜」の風雨による損傷もひどかった。
 社会構造の変革とともに、文化財の維持管理を行う自治会内の様相が変化してきている。「文化財の維持管理には本当に苦慮している」という。今後は管理が難しい文化財については防犯面を考慮して、津市への寄託も予想される。
 なんとか地元で守っていきたい。だが、神事や伝統行事などの無形文化財の継承も難しい。過疎化による担い手不足が深刻で、すでに風前の灯化している現場もあり、Uターン参加OK、女性参加OKなど、苦肉の策で対応しているというが、他地区からの担い手は雇えない」など課題もある。歌を譜に残したり、映像に残すなど「せめて記録保存する」ことも考えていく必要があるのではないか。
 「津城復元」という場合、建物を建てることをイメージしがちだが、江戸期の石垣や堀を再現することこそ、文化財としての復元である。今回の被害を受け、史跡に該当する部分にも調査のメスが入る。津市が行う樹木や土質などに関する一連の調査は、文化財として津城を復元させるための基礎づくりである。