まなびぃすとセミナー「写真師たちが見たNIPPON~幕末から明治初期まで~」が6月23日(土)、津市一身田上津部田の県生涯学習センター2階視聴覚教室であった。ふるさと三重が生んだ写真師 田本研造、堀江鍬次郎にスポットを当て、幕末・明治期の日本や三重の姿を、現代の写真家、専門家たちが語り合った。約100人が参加した。
 明治維新150周年を記念して県生涯学習センターが主催。「日本の写真の祖」といわれる上野彦馬とともに、同じ時代を生きた写真師が三重県から2人も輩出。化学の見地から、写真技術を上野とともに研究した堀江鍬次郎。故郷の熊野を離れて幕末の動乱期の記録を北海道で残した田本研造。
 2部制で1部で講演「二人の写真師が見た幕末・明治」、2部でクロストーク「風土が生んだ写真師たち ~幕末・明治の三重は熱かった!?~」があった。
 1部では、津市教育委員会の中村光司さんが「堀江鍬次郎」、函館の写真館「PhotoStudio TANISUGI写楽館」館主の谷杉アキラさんが「田本研造」について話した。
 中村さんは「津藩から長崎海軍伝習所に派遣されていたころ写真術に触れ、研究に没頭。上野彦馬が著した化学実験のマニュアル書『舎密局必携』の刊行に協力した」と話し、同書付録である写真術の概要と多くの挿図、堀江が撮影したと伝えられている上野の肖像写真を紹介した。
 谷杉さんは「長崎で医学と化学を学び、箱館に渡ったのち凍傷にかかり足の切断手術を受けた。その時、執刀したロシア海軍医から写真術を学んだ」と田本と写真との出会いを語った。明治元年37歳のときに写真師として営業を始め、榎本武揚や土方歳三らの肖像写真を撮影した。開拓事業の記録写真を撮影する傍ら、まちの様子も写し続けたことから、「北海道写真(ドキュメンタリーフォト)の父」と呼ばたと紹介した。
 第2部のクロストークでは、松原豊さん(津市美里町在住の写真家)がコーディネーター、中村光司さん、谷杉アキラさん、瀧川和也さん(三重県総合博物館学芸員)がスピーカーとして参加。苦労話や田本の撮影したパノラマ写真の技術力の高さなど、興味深い話が飛び出していた。
 田本研造が撮影した写真は、函館市中央図書館デジタル資料館のホームページで見ることができる。