「この道は、いつか来た道」
阿部 幸夫

 4月から縁あって伊勢へ電車通勤している。温暖化のせいか9月半ば過ぎには彼岸花が鉄路脇の畔道を毒々しい赤で染めている。
 「この道はいつか来た道、ああ、そうだよ、お母様と馬車で行ったよ」。私が4,5歳の頃に祖母が、仕事の合間に曲がった腰で,歌っていた。もう60年も前のことである。後に有名な北原白秋の詩によるものと気づいた。祖母との思い出はこの「歌」の光景しか残っていない。その後、私たち団塊の世代が経験する受験戦争の中では,理系に進もうとしていた私にとって、社会や歴史は暗記用の科目として割り切って勉強してきた。しかし,この記憶が自分の中に残っているというのは,それは、ただの記憶ではなく1つの歴史に気づくようになったからではないか、年を取ってきた自分にはそう思われてならない。
 この1年ほど,中国の習近平国家主席が鉄路と海路でユーラシア大陸の各国をつなぎ,人や物資の交流を活性化するという「一帯一路」構想を発信している。広大な国土を持つ中国ならではの雄大な構想で繁栄の可能性を持つプランだと思う。ただこの構想は、20世紀の初頭,東洋の強国といわれるようになってきた日本が東南アジアに向けて計画した「大東亜共栄圏」とどこか同じ匂いを感じるのは私だけであろうか。その結果,侵略戦争への道を進み,多くの近隣諸国に迷惑をかけたという歴史があった。最近、マレーシアの齢90歳を超えるマハティール首相が「アジア・アフリカの国が『一帯一路』構想に組み込まれて中国から多くの借金をすると,各国は国としての自立した意見が言えなくなるかもしれない」という発言をしている。先の大戦を体験した国の指導者の価値ある発言ではないだろうか。
 アジア・アフリカの開発途上国,特に急速な発展途上にある国は,発展という心地良い言葉に乗って,有毒な工場排水の垂れ流しや大気汚染という近代化に付随する負の側面に,まだ,気づいてないかもしれない。気づいても国策の名の下で対策を後回しにしてしまうかもしれない。そのため,国民や子供たちが不衛生な環境や公害病で苦しんだり,貧困も課題になったりする。これも私たち日本人が「高度成長・所得倍増」という国策のもとに,「いつか来た道」である。私たち日本人は私たちの経験を世界に発信する「情報の一帯一路」が今後の責任となってくるのではないだろうか,少なくとも公害対策などの技術力を日本は持っているはずなのだから。これらを生かすことが,私たちが歴史を学ぶ意味であると思う。
 先の大戦を経験した祖父母や父母も鬼籍となり,家族を思い出し手を合わせるのは彼岸ぐらいしかないが,歳を重ねてきた自分の中に,北原白秋の白い雲,青い空,サンザシの赤い実を愛でる環境を未来に残したい、そう思うこの頃である。
                     (阿部科学教育アーカイブス)