日々想々

国の調査統計と進路決定

阿部 幸夫

 卒業・入学の季節。教職を退いて長いが、この時期に、教え子の受験や新生活のことはやはり気になる。今日、5人にひとりは,入学した大学をやめて受け直したりしているという話も聞く。センターテスト後に大手受験産業が結果を全国リサーチして統計を出し、その統計結果と自己採点を比較して,志望校の合格可能性を判断して志望通り受験するかどうかを判断する。不本意に志望を変えざるを得ないという場合も出てくるのである。統計データがものを言う時代である。よく,「五分五分」という言葉があるが,50%の合格可能性で「五分五分」という見方もあるが,倍率が3倍の大学であれば33%が「五分五分」と見てもよくないか。要は,データを見て決断するのは自分自身であるという自主性・覚悟が欲しいところだ。
 前置きが長くなったが,国会では厚生労働省の調査データが偽装ではないかと騒いでいる。特に問題となっているのが,本来,対象となる企業すべてから収集すべきデータであるところを景気のよい企業やアベノミクスに有利な結果になるような企業だけを抽出して調査報告をしているのではないかという疑惑である。受験に言い換えれば,よい合格可能性を出してくれる受験産業のデータだけを信頼して,「自分は合格するかもしれない」という自分勝手な判断をしてしまい、一浪して受け直すという事態を招いているという実体に似ている。統計と向き合うとき,大切なのはデータ収集の際は継続的に行い、調査は母集団を変えないこと,評価するときは私情を挟まないことである。その上で施策(進路)を決定するときは自立的判断が重要である。この当然のことが冷静に出来ない場合を「血迷う」と言う。某放送局の番組の言葉を借りれば「ボーッと生きてるんじゃねぇよ。」とか。
 30年くらい前までは,高等学校の数学で「確率統計」を学習し,抽出調査では母集団の性質をゆがめないように調査をするとか,抽出する集団が小さいほど,判断を下す場合に、その判断の正確性の目安として有意水準も出すというということを学習した。例えば,国民の意識調査であれば,抽出したデータをできる限り年代別に分けて,それが年代別人口に近い抽出をしているか,また,職業別に分類してみてその抽出集団が日本人の職業比率を実現しているか等の視点に注意しなければならない。さらに,経年変化を見る場合は,データ収集の方法を変えてしまっては,未来予測をする際に判断を見誤ってしまうだろう。今般の国会議論に戻すと,景気判断を与党がプラス0.1%というのと野党のマイナス0.1%というのが,その有意水準以内だと,「横ばい」という判断に吸収されてしまう。国会議員全体で税金を使って無駄な空論をやっているということになる。その意味でも悉皆調査は手間がかかっても重要であるし,さらに、判断結果ありきの抽出調査は統計学の風上にも置けない。
 国会は日本の進路を決定する場所,省庁の官僚は進路決定のためのデータを出す集団である。厚生労働省のように内政に関わるデータだけでなく,不安視されている外交に関わる省庁も含め,国民に「ボーッと生きてるんじゃねぇよ。」と言われないように,行政府と立法府が統計学の基本に立ち返って協力してもらいたいものだ。
                       (阿部科学教育アーカイブス、作家)